剣の祭のいわれ

 神主の家だった次郎左衛門の家でも剣の祭は何時から始まったかは聞いていないそうです。今の鉾は平成元年に作り直したものですが、その前の鉾には柄のところに「元禄十六年亥の歳、九月」とか書いてあります。九月の祭だったのかな、それとも鉾を九月に作って、翌三月に祭を始めたのかな、と次郎左衛門さんも推理をめぐらせていました。

 この古い鉾には「広瀬次郎左衛門」と、もう一人の名前が書かれています。古い鉾は今でも次郎左衛門さんのところで保存しています。市の教育委員会に保存を頼もうとしたら、習志野市にはそう言う場所がまだないので、もうしばらくお宅で持っていてくれと頼まれたそうです。ぜひ、見てみたいですね。

 なお、この次郎左衛門さんの家には八剱神社をたてたときの大工の棟梁との契約書のようなものも、出てきたとおっしゃっていました。これについては「参考文献」の頁でご紹介します。

 今回、鷺沼の八剱神社剣の祭について、次郎左衛門さんをはじめ鷺沼の方々からいろいろ体験に基づくお話を伺うことが出来ました。「自分が覚えているのは戦後のことだけ。もっと年寄りなら戦前のことも覚えているだろうが。早くしないとみんな判らなくなるな」と言われました。八剱神社の秋の祭、2月のオビシャについてもお尋ねしてみたいし、はじめの方に紹介した、この地域の古峯講のことも興味があります。他にも無縁講と呼ばれる連絡網や、天道念仏という般若心経を勉強する老人クラブがあったそうです。嫁の悪口を言う会でもあるし、出かけてくれると嫁が息がつける会でもありました、と小耳に挟むと、ますます興味がわいてきます。

 「鷺沼弁も年寄りならしゃべれるが。直に聞いていないと、本に書いてあるだけじゃ判らないよ。前に図書館で見たが、疲れたときに『こうぇー』というが、文字だと『こわい』になっている。感じがすっかり違う。そう言うのも聞いて回るといいよ。」とアドバイスも頂きました。この鷺沼弁については保存会もあるそうなので、機会をみつけてお話を伺ってみたいと思います。

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